「面白いゲーム」&「思い出のゲーム」をご紹介していく【おもゲー】のコーナーです。レトロゲームが好きな私が毎回ゲームを絞ってご紹介しています。
第7回目は「ダライアス」です。
「3大横シューティング」の1つであり、第1回ゲーメスト大賞も受賞したこのゲーム。
ゲーセンでも当時の雰囲気や私の思い出も合わせて、いつもの【おもゲー】視点でご紹介します!
ゲーム情報
ゲーム名:ダライアス
メーカー:タイトー
稼働開始:1987年(昭和62年)
ゲームジャンル:シューティングゲーム
その他:3画面+ボディソニックを内蔵したベンチシート
どこ見ればいいの?デカい画面の弊害
はい。ダライアスと言えばこの筐体。
稼働したばかりの頃を知る者としては、15インチモニターをどうやって継ぎ目なく表示させているかとか、そういうことを書きたくなるけど書きません。(あまのじゃくだから)
初めてこの筐体に座った時は凄いインパクトでした。100円を入れたらデカい音と当時に、なんか椅子が振動したような気がして…若干の恐怖があったことをよく覚えています。
「3画面モニターのシューティング」なんて、それだけで十分インパクトがあるのですが、それよりも
「画面が広すぎてどこを見てプレーしたらいいか分からない」
という方が強かったです。
しかも、1面が洞窟内で天井にも当たり判定があり、ところどころに出っ張りがあるので、だいぶ狭く感じるんですよね。
1面とは思えない狭さ。しかも空中の敵が前後から、地上の敵や天井の敵まで登場します。初心者にはいきなり難しいでしょうが!
この洞窟ステージのせいで、画面はでかいのになんか窮屈に感じて嫌だった記憶があります。
(2面は天井がなくなるので、1面をそういうステージにすればいいのに!と思っていました)
まぁ、このゲームも散々やったたので今となっては何の違和感もなく普通にプレーしてるんですけどね。
令和の現在、私はダライアスは大阪の「ザリガニ」さんでプレーしてきました。
とにかくボス戦
デカいボス。でもそれどころじゃない。
3画面という筐体だけではなくて、「デカいキャラクター」ということも話題になりました。
「なんとボスが1画面分!」って、今ではぜんぜんインパクトない話ですが、当時はボスが1画面分あるなんてデカすぎやろ!くらい騒いでました。
ダライアスは、ボスがシーラカンスやザリガニ、サメやクジラなど、「水辺に生息する生物をモチーフとした」ボスなんですよね。
なので、ボスが巨大な戦艦ではありながら少し親しみも感じるところが、キャラクターデザインとしてもゲームデザインとしても大成功した要因の1つだと思います。
ただ、ボスの攻撃が結構激しいので、ボス戦が始まってしまうとずっと攻撃を交わすことに専念しないといけない感じでした。
1面のボス「シーラカンス」。今見るとたいして大きくないですが、当時はかなりデカく見えました。このボスは、頭の斜め左上に張り付いてボムを落として倒します。知らずに真正面から戦うと超大変!1面のボスなのに強すぎ!?
ボディソニック全開!
ボスの攻撃が激しいので、それを避けているだけでも熱いのですが、筐体に内蔵されているボディソニックというシステムによってドンドンという振動が発生し、それに合わせた曲も相まって、めっちゃ興奮します。
普通の戦いの場面と、ボス戦のシーンはしっかり分けられています。
ザコ敵たちと戦うシーンから暗転し、「Warning!」の文字とともにボスの名前も紹介されます。
このボス戦に入るときの「Warning!」がカッコいいですよね!
この「Warning!」の演出は、タイトーだけではなく、シューティングゲームのボス登場の定番演出として広く普及していくことになるのですが、ダライアスが発祥だったのです。
まさに歴史を作ってますね!
プレーしていた面が暗転して「Warning!」の文字が。当時からカッコイイとは思ってましたが、まさかこれほど定番の演出となるとは。
クリア後の「分岐の壁」にぶつかる
各ステージのボスを倒すと、次の面への分岐があります。
ダライアスでは、ボスを倒すたびに次のステージを2つの選択肢から選んでいきます。
初代「ダライアス」の場合、ボスを倒すとそのまま画面が進み、上のルートか、下のルートのどちらかを選ぶ分岐ポイントが迫ってきます。
この分岐ポイントで上下のどちらかに自機を移動させておかないと分岐の壁にぶつかって、1機を失ってしまいます。
そんなことをよく知らなかった当時小学生の私は、初めて1面をクリアした時に、そのままぼーっとしていてこの分岐地点の壁に見事にぶち当たりました。
デカい分岐の壁。自機を一番左の画面に寄せて、上下のどちらかに設置しておかないと見事に壁にぶつかります。なかなかシビアです。
面をクリアした際の分岐地点の演出は毎回同じなので、1回失敗すれば、さすがにもう失敗することはなくなります。
しかし、この「分岐点の壁にやられる」というのが結構なインパクトだったため、「面をクリアしたからって、ぼーっとしてんじゃねーよ!」と、シューティングのスパルタな神様に言われているような気分でした。
ちなみに「自機を動かして分岐点を移動させる」というのは初代「ダライアス」だけなんですよね。
他のダライアスシリーズは、単純にルート選択をする画面が出るだけ。別にそれでもいいのですが、やっぱりどことなく寂しさを感じてしまいます。
同じタイトーの3Dシューティング「ナイトストライカー」。やはりクリア後の分岐があり、自機を分岐点で左右に移動させるタイプだが、壁に当たってもダメージは全く受けない軟弱使用です。(言い過ぎ)
倒せないピラニア
4面のボスは「ピラニア」が登場します。
当時、小学生の私はこのピラニアが何度やっても倒せませんでした。
というのも、この面につく頃には、自機が打つ弾がレーザーにパワーアップし、弾を打つとピラニアを貫通してそのまま画面に消えていくのです。
ダライアスは画面上に打てる弾の数が決まっており、レーザーがピラニアを関するして画面外に消えるまで時間がかるため(3画面もあるから)、対ピラニア戦では弾を発射したいのに発射できない状態に陥る、ということがしばしば起こってしまいました。
今でこそ、「ピラニアが難しいと感じる原因」を普通に書いていますが、当時の私はなかなか勝てない原因が分からず、ただただ苦戦を繰り返していました。
4面ボスのピラニア。コイツにどれだけ苦汁を舐めさせられたことか!
「パワーアップしない」という新発想
そんなピラニアを突破できず困っていたある日、いつものゲーセンにいくと、既に男性がダライアスをプレーしていました。
私は順番待ちでその人の後ろからプレーを見ていました。
ダライアスには自機の弾がパワーアップする赤い玉があるのですが、男性はそれをある時点から全く取らなくなったのです。
男性はそのまま、自機の弾がレーザーになる前の「弾」の段階で、4面のピラニア戦に突入していきました。
一体どうなるのかと思って見ていると、なんとあっという間にピラニアを撃破してしまったのです。
呆然とする私に構わず、その男性はどんどん面を進めて、結局全ステージクリアしてしまいました。
びっくりしました。
ピラニアを撃退するには、ボスを貫通してしまうレーザーまでパワーアップをせず、普通の弾で戦う、というのが正解だったのです。
この「あえてパワーアップしない」という発想は、当時の私にはかなり衝撃的でした。
パワーアップを無条件の取りまくっていた私の常識は見事に覆りました。
一見当たり前に見えるものを一回疑ってみる、という人生の教訓を教えてくれたのも、このダライアスというゲームが最初でした。
父との思い出
ちょっと話は変わりますが、ダライアスには父との思い出もあります。
私のゲーム感が徐々に変わったのもこのゲームがきっかけだったので、そこについて少し書かせてください。
本格的なゲームセンターに連れていってくれた父
私は小学校4年生の時に、学校の校区外に本格的なゲームセンターがあるのを発見します。
自転車でいけば15分くらいで行ける場所にありましたが、校区外にあったため、そこには小学生だけで行ってはいけないというルールがありました。
そのゲーセンについて父に話すと、父は黙って私を車に乗せて連れて行ってくれました。
父は私に300円をくれて、私がゲームをし、父は休憩所のような場所でタバコを吸いながらテレビを見ている感じでした。
その日以来、そのゲーセンに行っては父から300円もらい、私がゲームをして、父はタバコを見ながらテレビを見る、という過ごし方を週末になるとほぼ毎週のようにしていました。
私は高価な(1プレー100円のゲーム)ができることや、比較的すぐに新しいゲームが稼働するそのゲーセンが大好きで、毎週楽しみで仕方がありませんでした。
父が、なぜ学校で規制されていたゲーセンに行くことを黙って許してくれたのか分かりませんが、まぁ、毎回300円くらいでめっちゃ楽しんでいる私の姿を見ていて、それはそれで満足だったのかもしれません。
ボディソニックを一緒に体感
そんな父ですが、たまーに私がやっているゲームのところに来て、私のプレーを見ることがありました。
大体、少し私のプレーを見たらすぐに休憩場の方に戻って行きます。
1度だけ父が脱衣麻雀をしている姿を見たことがありますが、すぐに負けてしまい、そこから父がゲーセンのゲームをしている姿を見ることはありませんでした。
ある日、私がダライアスをやっていると、父がふらっとやってきて隣の席に座りました。
ちょうどボスに差し掛かったとき、いつものボディソニックでドンドン振動が来て、BGMもボスの曲がなり始めました。すると父が、
「お。凄いな。」
と言ったのです。
これまで私のゲームに全く興味を示したことがなかった父ですが、ダライアスのボディソニックだけは凄いと感じたようです。
ゲームをしない父にまで「凄い」と言わせるタイトーのボディソニックという技術は、本当に凄いんだなと思い、なんだか不思議と嬉しくなったことを覚えています。
「絶対にクリアできないように出来ている」
その出来事をきっかけに、父は私がダライアスをすると、たまに私の横に来てプレーを見るようになりました。
同じゲームで2回以上父が私のプレーを見たのは、このダライアスが最初で最後です。やっぱりダライアスは凄いです。
ただ、その頃はちょうど私が4面ボスのピラニアに苦戦していたときで、そのときもいつものようにピラニアにコテンパンにやられてしまいました。
私は悔しがり「いつもこいつにやられる!」と怒っていると、それを聞いた父は、
「ゲームなんて絶対にクリアできないようになってるんだから」
と言ったのです。
なんということでしょう。
父がゲームに詳しくないのは百も承知ですが、「ゲームが絶対にクリアできないようにできている」なんて発言をしてしまうとは…。
父の発言を少し残念に思いましたが、何より実際にクリアできていない自分にも腹が立ちました。
絶対にクリアできないゲームだったら、きっと誰もこんなに夢中になってやってない!
と思いつつ、クリアできていない私。
それが悔しくて悔しくて、そこから初めて「全ステージクリアする」ということ強く意識するようになった気がします。
実際、ダライアスを全面クリアできるようになったのは、もう数年先なのですが、他のゲームではエンディングを迎えられるゲームが着実に増えていきました。
本人はきっとそこまで意識した言葉ではなかったと思いますが、父がダライアスで言った一言が、私のゲームに対する意識を変えさせて、さらに私のゲーム好きを加速させていくことになりました。
ピラニアは、小さいピラニアを吐き出します。その「小さいピラニア」を打つと4方向の打ち返し弾が飛んできます。それが超やっかい。でもここを突破できた時は感動もひとしおでした。
人に見られるプレーの快感
小学生ながらゲーセンに通う頻度も多かったため、私は「子どもなのにゲームが上手い」というポジションを満喫していました。
ダライアスや他の大型筐体ゲームをプレーし、高校生でも終わってしまうようなステージをクリアすると、自然と私の後ろにはギャラリーができることがありました。
今だと音ゲーでギャラリーができることがありますが、そんなイメージでしょうか。
私はそれが凄く嬉しくて、今でも自分がゲームをやっている時に、知らない人に私のプレーを見られると、テンションがマックスになってプレーしてしまいます。
きっといつもの1.5倍は上手くプレーしているはずです。
こんな、人に見られながらプレーする快感を覚えるきっかけになったのもダライアスでした。
最近ではすっかりギャラリーができることもないですが、もし昔に戻れるなら、またギャラリーを作ってプレーしてみたいです。
その他スナップ
恒例の、私が所有しているゲーメスト(1988年2月号)です。第1回ゲーメスト大賞にダライアスが選ばれました。「気合の増ページだ!」だそうです。(笑)
時はまさにシューティングの黄金期。そこでの第1位はやっぱり凄い。
第1回ゲーメスト大賞の1位~10位の内訳が出ています。こうしてみると、後世に残りまくるゲームばかりで本当に凄いメンツですね!
これも私所有のダライアス単体の音楽CDです。
この頃、1タイトル1,500円で各ゲームの音楽が発売されはじめていた頃で、ダライアスがそのシリーズで発売されると直ぐに買いました。
アレンジ曲が2曲入っていて、それがカッコよかったため、当時それをカセットテープに入れて、ウォークマンで聞きながら学習塾に通っていました。
ダライアスの曲といえば、やっぱりラスボスの曲が最高です。
ラスボス自体は、面によって何種類か存在するのですが、私はマッコウクジラの面を選び、このラスボスの音楽を聞きながら全神経を集中して戦う!というのが最高に楽しかったですね。
もう体中のアドレナリンが出まくってました!
ダライアスもシリーズを重ねるごとに演出も派手になり、素晴らしい曲も多いのですが、やっぱりこの初代ダライアスの「ボス曲」はその中でもトップクラスに大好きです。
ダライアスも任天堂スイッチやプレステで発売されている「アーケード・アーカイブス」でプレーが可能です。
興味があれば、ぜひ最高のボス曲でマッコウクジラと戦ってみてくださいね!
ダライアスは続編もやりまくったので、ずっと話が尽きません!
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